2008年1月6日 病室のベッドの上で親父は死んだ…

高野山連れて行ったろうか?…いや もう無理や〜… そして まもなく親父は入院した。…

余命 数ヶ月いや数週間!と聞いたのが 昨年の10月だった。 入院後しばらくして容態が

悪化したので とにかく俺は 元気付ける為 できる限り病院に通った。 親父は競馬が好き

だったので と言っても小さな額でやる お遊び競馬だが「おい!どの馬買うん?」といった

ような感じで とにかく家と同じように いやそれ以上に普通に接するよう心掛けた。それに

何か食べたい物があれば 必ず持って行った。普通のテレビだと見にくいので 小さなテレビ

も買った。そして ある日 家にあった メガネに鼻とヒゲが付いたパーティグッズを持って

行き まだ顔色も悪く しんどそうにしている親父に それを着けさせて笑っていたら しば

くして 主治医が来て 「こんなんしよりまんねん〜」って親父が言うと 主治医もいっしょ

になって笑っていたこともあった。 とにかく明るく そしてまた俺ができうることをしてあ

げようと思った。… 

ほんま 人間は不思議や!… それからというものは 医者もびっくりするほど快復し 本人

も本気で もう帰れるなぁと言っていたぐらい元気になっていた。ほんまに俺も またしばら

く家で過ごせるんちゃうん!と少なくとも そのときだけは本気で思った。…

しかし やっぱり人には寿命というものがあることを 思い知らされる。…

実際 親父はその後 家に2回帰って来た。1回目はクリスマスの日 そして2回目は 12

月31日〜元旦 そして2日の昼前までいっしょに過ごした後 また病院まで送って行った。

俺は もう ほんまにあかんなぁ…とそのとき感じた。…

そして4日?5日?の朝だったか 話すこともままならなく 寝返りも うてない状態で遠く

を見つめるように横になっている親父が ふと俺を見て何かボソボソと言うのだが聞き取れな

くて えーっ?何?と聞くが分からない そのうち看護師がやって来て おもむろに枕を直し

て 血圧を計りだした。…あっ!そうか〜俺は その時 親父が何を言いたかったのか理解で

きた!と同時に「枕や〜ごめん ごめん!俺 わからんかった〜」と言うと すかさず親父は

 そんなしんどい状態なのに 手を横に振りながら 小さくかすれる声で かま… かま…(

かまへん かまへん)と言ってくれた そのとき 俺の胸に ものすごい衝撃が走ったのは 

今でも忘れられない…。

今から考えると 日野先生が よく言っておられる「胸が震える」は相手の言った言葉の意味

ではなく「本気の声 本気の気持ち」が伝わるから 胸が いや「心が震える」んだと!…

だから あのとき親父の本気の気持ちが 俺の胸に ド〜ン?いやガツ〜ンと響いたんや。も

う一つ言うと俺が本気で言った ごめんの気持ちが 親父に伝わり 手を動かせ かまへんと

言わせた… 身をもって体験させてくれた 親父 ありがとう…。
心が震えた…
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