日野先生のサムライな心(さるさる日記)から

社交ダンスの世界チャンピオンが、毎日2時間ほど同じ事を繰り返し練習してい
たそうだ。
しかも、あるステップの途中までだ。
それを見ていて不思議に思いチャンピオンに、どうしてその中途半端な稽古をしているのかをたずねた。
そうすると、チャンピオンは
「コーチに言われただけで、その意味は知らない。
ただ、やり続けていたら自分で気付くのでは、と思ってやり続けている」
と言ったそうだ。
さて、これは間違っているだろうか。
逆に意味を知っていたらどうなるだろう。
意味を知っているから、習得時間が短縮できるだろうか。
そんなことは、決して無い。
意味を知らない場合、色々と考える。
どういう意味があるのか、を考える。
それは、そのステップを分解して考えたり、リズムを考えたり、体重の移動などを考える。
つまり、およそ自分で思いつくことは全部考える材料にするということだ。
ところが、意味を知っていたらどうなるだろう。
そういう具合に自分の頭を使う、働かせるということはしないだろう。
殆どの場合、言われた意味を鵜呑みする。
つまり、自分の頭を働かせないということだ。
では、意味を知っている人と、知らない人が同時に始めた場合、何がどうなるだろう。
意味を知っている人は、意味を「知っている」だけで、そのことと言われた事がくっつかない。
しかし、知らない人は自分なりに意味と、やっていることはくっついているということになる。
物事を先に知る、というのは、そういうリスクを背負っている、ということを、それこそ知っていなければ危険なのだ。

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